逃げた美容師の生存戦略。ノウハウゼロから13年続く経営術

はじめまして。
現在、1000円カット専門店を立ち上げて13期目
(現在の料金は1300円)、
経営者として小さな会社を回している者です。

13期目の経営者」なんて書くと、
順風満帆なキャリアを
想像されるかもしれません。
若い頃から技術があって、
名がたくさんあって、
満を持して独立した……
そんな「カリスマ美容師」の成功物語だと。

でも、事実は真逆です。

私は、美容業界の「王道」から転げ落ちた、
正真正銘の「落ちこぼれ」でした。
今思い出しても後ろめたさがあります(笑)

今日から少しずつ、
私の泥臭い履歴書を書いていこうと思います。
・これから美容師を目指す人、
・今仕事で壁にぶつかっている人、
・そして病気やトラブルで
・「もうダメだ」
と思っている人向けて
・「こんな生き方もあるんだ」
と少しでも何かの励ましになれたなら幸いです。


工業高校出身、動機は「なんとなく」

私が美容学生だった頃、
当時の美容業界は、
カリスマブームの真っ只中です。
(キムタクのドラマが流行っていました)。

私の実家は、
父が理容師と美容師のダブルライセンス、
母が美容師、
祖父母も叔母も理容師という、
生粋の髪切り一家でした。
しかしなぜか超貧乏(理由は別途書きます)
私は3兄弟の末っ子。

兄二人は国立大学を出て、
大手企業に就職していました。
「髪切り職の親族が多いのに、
兄貴たちは大手企業に就職。
俺は実家のパーマ屋でも継ぐか……」

そんな「なんとなく」で、
私はこの美容業界に飛び込んでしまったのです。
ちなみに高校は工業高校でした。
この時点で、すでに道がズレている気がします。

「デブで不器用」な美容学生

いざ美容学生になってみると、
周りの同級生たちの女子は可愛いし
男子はみんなイケメンで、
おしゃれで面白くて、
キラキラして輝いて見えました。

授業でワインディング
(ロッドを巻く練習)をしても、
私は周りより遅いし、汚い。

「あ、自分は向いていない」

学生時代から、
すでにそんな予感はありました。
なんてったって、
当時の私は太っていました。
(173センチの110キロ)
デブで不器用。
自己嫌悪はなおさらです。

「美容師」という国家資格に合格し、
神奈川県の美容室経営の会社に就職しました。
しかし、現場は学校以上に過酷でした。

朝早くから夜遅くまでの練習。
先輩からの厳しい指導。
シャンプーによる手荒れ。

何より辛かったのは、「技術が上達しないこと」への劣等感です。
同期や後輩に仕事で遅れをとり、
(やめたい……)と心の中で悩む毎日。
私はいつまでも初歩的なステップでつまずいていました。

「お前、やる気あるの?」
「このままじゃスタイリストになれないよ」

そんな言葉を浴びるたび、
心の中で「いつか見返してやる!」と叫んでいました。
でも、技術と心が追いつかない。

そして「夜逃げ」

結局、私は4年目の「Jr.スタイリスト」という、
一人前の一歩手前の段階で心が折れました。

「もう、美容師は辞めよう」

寮から荷物をまとめて逃げて、
退社しました。
これが、私の美容師としての最初の挫折です。

まさかこの後、
復帰してはまた辞め、
大病を患い……それでも髪を切る仕事で
!!会社を作ることになるなんて!!

当時の泣き出しそうな私は知る由もありません。

次回、夜逃げ後焼肉屋バイト突入

逃げた美容師の生存戦略。#2 焼肉バイト

2007年の4月。
最初の美容室を逃げるように辞めたあと、
私は一度、
実家の美容室を手伝ってみることにしました。

正直に言うと、
驚くほど暇でした。

時間がゆっくり流れ、
お客さんも少なく、
心の中が「溶けていく」ような、

ドロドロドチャア〜って感じです。
真っ先に浮かんだのはこの言葉でした。

「よく、兄弟3人も学校出せたなぁ」

尊敬と同時に、
どうしようもない申し訳なさ。

自分は何をやってきたんだろう。
何も返せていない。
むしろ、
迷惑をかけているだけなんじゃないか。

自己嫌悪が、
また一段階、深くなりました。


3年現場にいたのに、何もできない

実家の店で仕事をしてみて、
さらにショックだったことがあります。

3年間、
現場でバリバリだったのに、
全っ然役に立てない。

カットも中途半端。
気が利くわけでもない。
スピードも遅い。

「3年やってこれか…」

自分で自分に呆れていました。

自己嫌悪は、
自己憎悪にグレードアップ。

「なんでこんなに仕事を選んでしまったんだ」
「向いてねぇええ」

そんなことばかり考えていました。


親との現場は、やっぱり難しい

神奈川で働いていた頃、
お客さんが話していました。

「親と仕事するとさ、喧嘩ばっかになるぜ」

その時は
「そうなんすか?自分も気をつけたいなぁ」
なんて笑って返していましたが、

どうやら、
私も例外ではなかったようです(笑)

細かいことでもなんでも、
そこは変だよと、
指摘することが増え、
空気がピリつき、
余計に居心地が悪くなる。

技術がない。
自信もない。
親の前では、虚勢を張って
なおさら小さく感じる。

ここに居続けるのは、
正直、かなりしんどかった。


それでも、店は溶けるほど暇で

とはいえ、
忙しさで気を紛らわせることもできず。

本当に、溶けるくらい暇でした。
特に午後なんかずっと0なんてザラにある

「このままじゃ、気持ちが持たない」

そう思い、
午後からの仕事を探しました。


焼肉屋のバイトに飛び込む

そんな時、
当時の友人から声をかけられました。

「バイト来ない?」

深く考えず、
そのまま飛び込みました。

美容師でもない。
スタイリストでもない。
経営者でもない。

ただの、
焼肉屋のバイト。

炭を焼き、
皿を運び、
洗い
煙にまみれる毎日。

でも不思議と、
心は少しだけ楽になりました。


この時の私は、
まだ知りませんでした。

この「焼肉バイト」という遠回りが、
のちに自分の働き方や、
低価格サロンという選択に
じわじわ影響していくことを。

次回、接客マンパワーで全国5位

逃げた美容師の生存戦略。#3 バイトで全国5位、復帰後は5ヶ月で退職。

2007年5月。
実家の美容室の暇さに耐えられず、
逃げるように始めた焼肉屋でのアルバイト。
期間は8月までの、
わずか4ヶ月間でした。

仕事内容は、洗い場、注文取り、
そして「炭焼き窯」からの炭出し。
真夏の炭場は灼熱地獄でしたが、
不思議と苦ではありませんでした。

なぜなら、
そこには明確な「答え」があったからです。
「お肉をお持ちしました!」
「網交換しますね!」
元気に声をかければ、
お客さんは反応してくれる。
複雑なカット技術や、
先輩の顔色を伺う必要もない。

ただ目の前のお客さんに
喜んでもらうことだけに集中する日々。
そんなある日、
店長から呼び出されました。

「おい、これを見ろ」

渡されたのは、
チェーン店で行われていた
「接客アンケート」の集計結果でした。
そこに書かれていたのは、
信じられない順位でした。

接客ランキング、全国5位。

耳を疑いました。
美容室では
「不器用」
「才能がない」
「デブでセンスがない」
と散々だった自分が、
ここでは全国トップクラスの評価を受けている。

その時、
私の中で何かが弾けました。

「俺は美容師(技術職)には向いていないけど、接客(サービス業)は向いているのかもしれない」

この発見は、
当時の私にとって唯一の光でした。
そして、
ここで私は「若さゆえの勘違い」をしてしまいます。

「接客に自信がついた今なら、もう一度美容室でやれるんじゃないか?」

全国5位の実績を活かせば、
あの劣等感を克服できる気がしたのです。
私は焼肉屋のバイトを辞め、
再び美容業界に戻る決意をしました。

9月、復帰。
そして1月、退場。
2007年9月。
私は意気揚々と新しい美容室に就職しました。
「今度こそは続くはずだ」
「接客なら負けない」

しかし、結果から言います。
翌年の1月、私はまた辞めました。

期間にして、わずか5ヶ月。
前の店(4年)よりも圧倒的に短い、
瞬殺でした。

なぜダメだったのか。
それは、美容室という場所が
「接客がいい」だけでは許されない場所だったからです。
いくら愛想が良くても、
カットが下手なら指名はつかない。
いくら気が利いても、
先輩の技術チェックに受からなければスタイリストにはなれない。

とにかく下手、
それに及んで接客もダメダメ

バイトで得た自信は、
美容室という「技術の世界」の壁の前では、
あまりにも脆い盾でした。

「ああ、やっぱり俺は、美容師としては完全に終わってるんだ」

2度目の挫折。
しかも今回は「自信を持って挑んで、速攻で負けた」という事実。
この5ヶ月での退職が、
私を本当の「どん底」へと突き落としました。

しかし、このどん底こそが、
私の人生を変える「1000円カット」との出会いにつながるのです。

次回1000円カットでも下手くそ

逃げた美容師の生存戦略。#4 1000円カットに突入!

美容室を辞めて、すぐ1000円カットに飛び込んだ

2008年(※時期は推測です)。
美容室を5ヶ月で辞め、
もう後がなくなった私が選んだのは、
かつて最も軽蔑していた場所でした。

「1000円カット」
(美容室やめて間1日で次の職場という)
美容室を辞めてから、
私はほとんど日にちを空けずに、1000円カットで働き始めました。

当時の美容業界における1000円カットの評判は、
散々なものでした。
「安い、早い、下手、愛想が悪い」
「美容師崩れが行く場所」

正直、選択肢は多くありませんでした。
普通の美容室に戻れば、
また「シャンプー」や「カラー」のアシスタントからやり直しです。
もう、
あの長い下積みには耐えられない。
故にもう一度、
普通の美容室に挑戦する気力も自信もない。
でも、完全にこの仕事を捨てる勇気もない。

「だったら、もう一番シンプルな場所に行こう」
「習うより、慣れろだ」

そんな気持ちでした。


カラーも、パーマも、縮毛矯正もない世界

1000円カットの現場には、
それまでの美容室とはまったく違う景色がありました。

・カラーはない
・パーマもない
・縮毛矯正もない

あるのは、
カットだけ。

それも、
ほとんどがバリカンでの刈り上げ。

迷う暇もなければ、
考え込む余裕もない。

とにかく
切る。切る。切る。

最初は、
正直、技術的に誇れるものではありませんでした。

だから私は、
上手い人の真似をひたすらしました。


「考える」より「真似る」

切っている人の立ち位置。
バリカンの角度。
ハサミの入れ方。
お客さんへの声かけのタイミング。

全部、真似。

オリジナリティなんて考えない。
センスもいらない。

「まず同じことを、同じようにやる」

それを毎日、
何十人、何百人と繰り返しました。

すると、
少しずつですが、
手が勝手に動く感覚が出てきました。

美容室では何年かかっても掴めなかった感覚が、
ここでは、確実に積み上がっていく。


神奈川で磨いた「接客」が生きた

もう一つ、大きかったのは、
バイトと神奈川の美容室で身につけた接客でした。

1000円カットには、
正直、こんなイメージがあると思います。

「接客が悪い」
「流れ作業」
「雑」

でも、実際に中に入ってみると、
理由もわかりました。

時間が短いのに、要求が大きい。

今は特に、

「スマホ見せますね、こういう感じで」

と、
写真を出されることも多い。

短時間・低価格なのに、
求められる完成度は高い。

先輩の中には、

「そのスタイルを求めるなら、
ちゃんとした美容室か理容室に行ってください」

と、
注文を断られて不満そうに帰る人も、
少なくありませんでした。


それでも、私は断らなかった

私は、
あまり断りませんでした。

完璧にはできない。
写真通りにもならない。

それでも、

「今できる範囲で、近づける」
「できることを、正直に伝える」

これまでの仕事で学んだのは、
技術の前に、向き合い方でした。

その積み重ねが、
評価につながっていきます。


気づけば、エリアマネージャーに

気づいた時には、
私はエリアマネージャーになっていました。

カリスマでもない。
技術の天才でもない。

ただ、

・逃げなかった
・真似をやめなかった
・数を切った
・接客を手放さなかった

それだけです。


この時、
私はようやく気づきました。

「自分に合う場所は、王道じゃない」
「下手でも、感じが良ければ選ばれる」

技術至上主義の美容業界で、
この1000円カットでの経験が、
私が初めて見つけた「生存ルート」でした。
これが低価格にこだわり続ける理由になります。

次回、会社ができちゃった。

 

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