逃げた美容師の生存戦略。ノウハウゼロから13年続く経営術

目次

逃げた美容師の生存戦略。ノウハウゼロから13年続く経営術 #1 自己紹介

 

はじめまして。
現在、1000円カット専門店を立ち上げて13期目
(現在の料金は1300円)、
経営者として小さな会社を回している者です。

13期目の経営者」なんて書くと、
順風満帆なキャリアを
想像されるかもしれません。
若い頃から技術があって、
名がたくさんあって、
満を持して独立した……
そんな「カリスマ美容師」の成功物語だと。

でも、事実は真逆です。

私は、美容業界の「王道」から転げ落ちた、
正真正銘の「落ちこぼれ」でした。
今思い出しても後ろめたさがあります(笑)

今日から少しずつ、
私の泥臭い履歴書を書いていこうと思います。
・これから美容師を目指す人、
・今仕事で壁にぶつかっている人、
・そして病気やトラブルで
・「もうダメだ」
と思っている人向けて
・「こんな生き方もあるんだ」
と少しでも何かの励ましになれたなら幸いです。


工業高校出身、動機は「なんとなく」

私が美容学生だった頃、
当時の美容業界は、
カリスマブームの真っ只中です。
(キムタクのドラマが流行っていました)。

私の実家は、
父が理容師と美容師のダブルライセンス、
母が美容師、
祖父母も叔母も理容師という、
生粋の髪切り一家でした。
しかしなぜか超貧乏(理由は別途書きます)
私は3兄弟の末っ子。

兄二人は国立大学を出て、
大手企業に就職していました。
「髪切り職の親族が多いのに、
兄貴たちは大手企業に就職。
俺は実家のパーマ屋でも継ぐか……」

そんな「なんとなく」で、
私はこの美容業界に飛び込んでしまったのです。
ちなみに高校は工業高校でした。
この時点で、すでに道がズレている気がします。

「デブで不器用」な美容学生

いざ美容学生になってみると、
周りの同級生たちの女子は可愛いし
男子はみんなイケメンで、
おしゃれで面白くて、
キラキラして輝いて見えました。

授業でワインディング
(ロッドを巻く練習)をしても、
私は周りより遅いし、汚い。

「あ、自分は向いていない」

学生時代から、
すでにそんな予感はありました。
なんてったって、
当時の私は太っていました。
(173センチの110キロ)
デブで不器用。
自己嫌悪はなおさらです。

「美容師」という国家資格に合格し、
神奈川県の美容室経営の会社に就職しました。
しかし、現場は学校以上に過酷でした。

朝早くから夜遅くまでの練習。
先輩からの厳しい指導。
シャンプーによる手荒れ。

何より辛かったのは、「技術が上達しないこと」への劣等感です。
同期や後輩に仕事で遅れをとり、
(やめたい……)と心の中で悩む毎日。
私はいつまでも初歩的なステップでつまずいていました。

「お前、やる気あるの?」
「このままじゃスタイリストになれないよ」

そんな言葉を浴びるたび、
心の中で「いつか見返してやる!」と叫んでいました。
でも、技術と心が追いつかない。

そして「夜逃げ」

結局、私は4年目の「Jr.スタイリスト」という、
一人前の一歩手前の段階で心が折れました。

「もう、美容師は辞めよう」

寮から荷物をまとめて逃げて、
退社しました。
これが、私の美容師としての最初の挫折です。

まさかこの後、
復帰してはまた辞め、
大病を患い……それでも髪を切る仕事で
!!会社を作ることになるなんて!!

当時の泣き出しそうな私は知る由もありません。

次回、夜逃げ後焼肉屋バイト突入

逃げた美容師の生存戦略。#2 焼肉バイト

2007年の4月。
最初の美容室を逃げるように辞めたあと、
私は一度、
実家の美容室を手伝ってみることにしました。

正直に言うと、
驚くほど暇でした。

時間がゆっくり流れ、
お客さんも少なく、
心の中が「溶けていく」ような、

ドロドロドチャア〜って感じです。
真っ先に浮かんだのはこの言葉でした。

「よく、兄弟3人も学校出せたなぁ」

尊敬と同時に、
どうしようもない申し訳なさ。

自分は何をやってきたんだろう。
何も返せていない。
むしろ、
迷惑をかけているだけなんじゃないか。

自己嫌悪が、
また一段階、深くなりました。


3年現場にいたのに、何もできない

実家の店で仕事をしてみて、
さらにショックだったことがあります。

3年間、
現場でバリバリだったのに、
全っ然役に立てない。

カットも中途半端。
気が利くわけでもない。
スピードも遅い。

「3年やってこれか…」

自分で自分に呆れていました。

自己嫌悪は、
自己憎悪にグレードアップ。

「なんでこんなに仕事を選んでしまったんだ」
「向いてねぇええ」

そんなことばかり考えていました。


親との現場は、やっぱり難しい

神奈川で働いていた頃、
お客さんが話していました。

「親と仕事するとさ、喧嘩ばっかになるぜ」

その時は
「そうなんすか?自分も気をつけたいなぁ」
なんて笑って返していましたが、

どうやら、
私も例外ではなかったようです(笑)

細かいことでもなんでも、
そこは変だよと、
指摘することが増え、
空気がピリつき、
余計に居心地が悪くなる。

技術がない。
自信もない。
親の前では、虚勢を張って
なおさら小さく感じる。

ここに居続けるのは、
正直、かなりしんどかった。


それでも、店は溶けるほど暇で

とはいえ、
忙しさで気を紛らわせることもできず。

本当に、溶けるくらい暇でした。
特に午後なんかずっと0なんてザラにある

「このままじゃ、気持ちが持たない」

そう思い、
午後からの仕事を探しました。


焼肉屋のバイトに飛び込む

そんな時、
当時の友人から声をかけられました。

「バイト来ない?」

深く考えず、
そのまま飛び込みました。

美容師でもない。
スタイリストでもない。
経営者でもない。

ただの、
焼肉屋のバイト。

炭を焼き、
皿を運び、
洗い
煙にまみれる毎日。

でも不思議と、
心は少しだけ楽になりました。


この時の私は、
まだ知りませんでした。

この「焼肉バイト」という遠回りが、
のちに自分の働き方や、
低価格サロンという選択に
じわじわ影響していくことを。

次回、接客マンパワーで全国5位

逃げた美容師の生存戦略。#3 バイトで全国5位、復帰後は5ヶ月で退職。

2007年5月。
実家の美容室の暇さに耐えられず、
逃げるように始めた焼肉屋でのアルバイト。
期間は8月までの、
わずか4ヶ月間でした。

仕事内容は、洗い場、注文取り、
そして「炭焼き窯」からの炭出し。
真夏の炭場は灼熱地獄でしたが、
不思議と苦ではありませんでした。

なぜなら、
そこには明確な「答え」があったからです。
「お肉をお持ちしました!」
「網交換しますね!」
元気に声をかければ、
お客さんは反応してくれる。
複雑なカット技術や、
先輩の顔色を伺う必要もない。

ただ目の前のお客さんに
喜んでもらうことだけに集中する日々。
そんなある日、
店長から呼び出されました。

「おい、これを見ろ」

渡されたのは、
チェーン店で行われていた
「接客アンケート」の集計結果でした。
そこに書かれていたのは、
信じられない順位でした。

接客ランキング、全国5位。

耳を疑いました。
美容室では
「不器用」
「才能がない」
「デブでセンスがない」
と散々だった自分が、
ここでは全国トップクラスの評価を受けている。

その時、
私の中で何かが弾けました。

「俺は美容師(技術職)には向いていないけど、接客(サービス業)は向いているのかもしれない」

この発見は、
当時の私にとって唯一の光でした。
そして、
ここで私は「若さゆえの勘違い」をしてしまいます。

「接客に自信がついた今なら、もう一度美容室でやれるんじゃないか?」

全国5位の実績を活かせば、
あの劣等感を克服できる気がしたのです。
私は焼肉屋のバイトを辞め、
再び美容業界に戻る決意をしました。

9月、復帰。
そして1月、退場。
2007年9月。
私は意気揚々と新しい美容室に就職しました。
「今度こそは続くはずだ」
「接客なら負けない」

しかし、結果から言います。
翌年の1月、私はまた辞めました。

期間にして、わずか5ヶ月。
前の店(4年)よりも圧倒的に短い、
瞬殺でした。

なぜダメだったのか。
それは、美容室という場所が
「接客がいい」だけでは許されない場所だったからです。
いくら愛想が良くても、
カットが下手なら指名はつかない。
いくら気が利いても、
先輩の技術チェックに受からなければスタイリストにはなれない。

とにかく下手、
それに及んで接客もダメダメ

バイトで得た自信は、
美容室という「技術の世界」の壁の前では、
あまりにも脆い盾でした。

「ああ、やっぱり俺は、美容師としては完全に終わってるんだ」

2度目の挫折。
しかも今回は「自信を持って挑んで、速攻で負けた」という事実。
この5ヶ月での退職が、
私を本当の「どん底」へと突き落としました。

しかし、このどん底こそが、
私の人生を変える「1000円カット」との出会いにつながるのです。

次回1000円カットでも下手くそ

逃げた美容師の生存戦略。#4 1000円カットに突入!

 

美容室を辞めて、すぐ1000円カットに飛び込んだ

2008年(※時期は推測です)。
美容室を5ヶ月で辞め、
もう後がなくなった私が選んだのは、
かつて最も軽蔑していた場所でした。

「1000円カット」
(美容室やめて間1日で次の職場という)
美容室を辞めてから、
私はほとんど日にちを空けずに、1000円カットで働き始めました。

当時の美容業界における1000円カットの評判は、
散々なものでした。
「安い、早い、下手、愛想が悪い」
「美容師崩れが行く場所」

正直、選択肢は多くありませんでした。
普通の美容室に戻れば、
また「シャンプー」や「カラー」のアシスタントからやり直しです。
もう、
あの長い下積みには耐えられない。
故にもう一度、
普通の美容室に挑戦する気力も自信もない。
でも、完全にこの仕事を捨てる勇気もない。

「だったら、もう一番シンプルな場所に行こう」
「習うより、慣れろだ」

そんな気持ちでした。


カラーも、パーマも、縮毛矯正もない世界

1000円カットの現場には、
それまでの美容室とはまったく違う景色がありました。

・カラーはない
・パーマもない
・縮毛矯正もない

あるのは、
カットだけ。

それも、
ほとんどがバリカンでの刈り上げ。

迷う暇もなければ、
考え込む余裕もない。

とにかく
切る。切る。切る。

最初は、
正直、技術的に誇れるものではありませんでした。

だから私は、
上手い人の真似をひたすらしました。


「考える」より「真似る」

切っている人の立ち位置。
バリカンの角度。
ハサミの入れ方。
お客さんへの声かけのタイミング。

全部、真似。

オリジナリティなんて考えない。
センスもいらない。

「まず同じことを、同じようにやる」

それを毎日、
何十人、何百人と繰り返しました。

すると、
少しずつですが、
手が勝手に動く感覚が出てきました。

美容室では何年かかっても掴めなかった感覚が、
ここでは、確実に積み上がっていく。


神奈川で磨いた「接客」が生きた

もう一つ、大きかったのは、
バイトと神奈川の美容室で身につけた接客でした。

1000円カットには、
正直、こんなイメージがあると思います。

「接客が悪い」
「流れ作業」
「雑」

でも、実際に中に入ってみると、
理由もわかりました。

時間が短いのに、要求が大きい。

今は特に、

「スマホ見せますね、こういう感じで」

と、
写真を出されることも多い。

短時間・低価格なのに、
求められる完成度は高い。

先輩の中には、

「そのスタイルを求めるなら、
ちゃんとした美容室か理容室に行ってください」

と、
注文を断られて不満そうに帰る人も、
少なくありませんでした。


それでも、私は断らなかった

私は、
あまり断りませんでした。

完璧にはできない。
写真通りにもならない。

それでも、

「今できる範囲で、近づける」
「できることを、正直に伝える」

これまでの仕事で学んだのは、
技術の前に、向き合い方でした。

その積み重ねが、
評価につながっていきます。


気づけば、エリアマネージャーに

気づいた時には、
私はエリアマネージャーになっていました。

カリスマでもない。
技術の天才でもない。

ただ、

・逃げなかった
・真似をやめなかった
・数を切った
・接客を手放さなかった

それだけです。


この時、
私はようやく気づきました。

「自分に合う場所は、王道じゃない」
「下手でも、感じが良ければ選ばれる」

技術至上主義の美容業界で、
この1000円カットでの経験が、
私が初めて見つけた「生存ルート」でした。
これが低価格にこだわり続ける理由になります。

次回、会社ができちゃった。

逃げた美容師の生存戦略。#5 会社つくっちゃった

2008年
1000円カットの世界に飛び込んで、
気づけば2013年まで5年の月日が流れていました。
その間、私のカット技術が飛躍的に向上したか?
答えはNOです。

正直に白状します。
技術へのコンプレックスは解消されないまま、
5〜6年間、技術のアップデートは一切していません。
新しい流行りのスタイル? 習っていません。
高度なカット理論? 学んでいません。
ちょー下手くそです。

ただ、生き残るために必死でした。
関東で副店長や
山形の美容室で店長をやっていたという
先輩たちの見よう見まねで、
最低限の技術」だけはどうにか習得しました。
その代わり、
磨き上げたのが「スピード」です。
出張先々のテナントで、
私はひたすら数を切りました。
丁寧な接客」×「スピード」 この掛け算で、
私は行く先々の店舗で
「客数更新の新記録」に貢献していきました。
そうして多くの美容師と働く中で、
ある「気づき」が生まれました。
周りを見渡すと、
意外と適当な仕事をしている人も多い。

あれ? もしかして、
俺の技術でもなんとかなってる?

かつて
表参道や横浜の美容師たちに感じた「圧倒的な壁」が、
ここにはありませんでした。
「技術はそこそこでいい。その代わり、誰よりも早く、感じよく」
それが、
私が現場で見つけた「生き延びる戦い方」でした。

しかし、
29歳になった私に、
人生の転機が訪れます。
結婚です。
守るべき家族ができ、
ふと我に返りました。

「!!厚生年金に入ってない!!」

1000円カットの給料はむちゃくちゃ悪く、
福利厚生は手薄でした。

このまま一生、ハサミ一本で家族を養えるのか?
もし体を壊したら? 不安が頭をよぎり、

今度こそ美容師を辞めて、一般企業に就職しよう
と本気で考え始めました。

そんな矢先です。
所属していた会社から、
突然のオファーがありました。
「フランチャイズ(FC)で、店を持たないか?」
渡された契約書を見ました。

一言で言えば、
「ずさん」

600万円以上の借金を背負うことになる内容です。
普通なら、
「こんな怪しい話、絶対に断る」でしょう。

でも、

私には「現場の経験」がありました。

私はその譲渡対象となるテナントで実際に働き、
客層も、売上も、周りの競合状況も、
肌感覚ですべて把握していました。
「……この契約内容はひどい。でも、この店のポテンシャルなら……」
電卓を叩きました。
売上予測と返済計画。

「勝てる。」
私の頭の中で、そろばんが弾けました。

「近所に競合店ができるから、30%も落ちたこの店を押し付けたんだな」
「震えるぜ!現場での本気見せたるわい!」

一般就職か、借金をしての独立か。
私は後者を選びました。

「男ならよ!やる時やるんだぜ!」
神奈川で殴られながら教わったこの精神性が、
私の行動力を押し上げました。

10月に結婚式!12月新婚旅行!
だけども会社設立予定日は

!!11月!!

「あんた何考えてんのよ!」
こうして私は、
家族の心配をよそに
29歳で独立。

地獄のフランチャイズ契約!
長い経営者人生が
!今!)
スタートしたのです。

次回、国保はやっぱダミ

逃げた美容師の生存戦略。#6国保より社保

独立初年度。4.5坪の店で始まった現実

独立した当初、
私の店の広さは4.5坪でした。

今でこそ、
ハンマーで壁を叩き壊して
10坪のテナントになっていますが、

当時は本当に、
「よくこんな店で始めたな」
と自分でも思う広さです。

正直に言うと、
今振り返って一番驚いているのは、
この店で10年以上、社会保険に入れ続けてこられたことです。


狭さより先に、不安が積み上がっていく

4.5坪。
セット面は最低限。
バックヤードは、ほぼない。

カラーもやっているのに、
「洗濯どうする?」
「薬剤の置き場どうする?」
「掃除用具どこに置く?」

問題は次から次へと出てきました。

トイレは?
この広さで人を雇えるのか?
将来、テナントを広げられるのか?

独立初年度。
しかも低単価。

お客さんの需要はものすごくある。
でも、単価が低い分、
一瞬止まったら終わる感覚も常にありました。

そんな中で、
頭から離れなかったのがこの疑問です。

「国保で、家族の安心は作れるのか?」


自営業は、国保が当たり前?

美容室でも、理容室でも、
個人経営の店を見渡すと、

・国民健康保険
・国民年金

この組み合わせが、
正直かなり多いと思います。

私自身も、
独立前はずっとそう思っていました。

「小さな店で、社保なんて無理だろ」
「自営業なんだから、それが普通だろ」

実家の店を見て育ったこともあり、
福利厚生の面では
自営業は不利なもの
という認識が、どこか当たり前になっていました。


それでも、社会保険を選んだ理由

なぜ、
売上も安定していない独立初年度に、
無理をしてでも社会保険に入ったのか。

立派な経営判断でも、
高度な節税テクニックでもありません。

理由は、
家族からの信頼でした。


「この人、ちゃんと考えてる」

結婚したばかりの頃。
4.5坪の小さな店。
借金もある。

冷静に考えれば、
不安しかない状況です。

そんな中で、

・社会保険に入っている
・厚生年金に加入している

この事実は、
言葉以上に効きました。

「この人、
勢いだけで独立したわけじゃないんだな」

「最低限のことは、
ちゃんと考えてるんだな」

直接そう言われたわけではありません。
でも、
空気が少し変わったのは確かでした。


国保と社保の一番の違いは「感情」だった

独立初年度の私は、
経営者としてはまだまだ未熟でした。

売上はギリギリ。
余裕なんて、どこにもない。

正直、
社会保険に入ったからといって
売上が上がったわけでもありません。

でも、
一つだけはっきり分かったことがあります。

「安心は、数字より先に、人間関係を支える」

国保か社保か。
制度の違いももちろんあります。

でも、
当時の私にとって一番大きかったのは、

「家族に、説明できるかどうか」
「自分自身が、納得できるかどうか」

その感情の差でした。


よくやってたな、あの頃の自分

今思えば、
よくもまあ、あの4.5坪の店で、

・パートを雇い
・社会保険に入れ
・店を潰さず

10年以上続けてきたな、と思います。

派手さはありません。
成功談でもありません。

でも、
逃げずに続けてきた結果が、
今につながっています。


国保と社保、納める金額の話

あくまで当時の感覚ですが、
正直こう思っていた部分もあります。

「なんか、社保に入った方が
結果的に得なんじゃないか?」

実際の金額だけを見れば、
決して安くはありません。

でも、
・将来の年金
・家族の安心
・周りからの信用

そこまで含めて考えると、
社保は「ただの出費」ではなかったと、今は思っています。

社保を恐れて個人にこだわるのも一つ。
でも、思い切って法人化して、
ちゃんと守るものを守りながら経営する。

そういう選択肢があっても、
別におかしくないし、悪くない。

少なくとも、
あの頃の自分には必要な選択でした。

次回、2階に店を増やしてみた。

逃げた美容師の生存戦略。#7 1000円カット経営の初期の最大難点はズバリここ!

2015年の春あたりに4.5坪のテナントの上、
その2階には10.5坪の空きテナントがありました。

独立して3年目。
私はそこを借りて、
店を拡大する決断をします。

理由は、とてもシンプルでした。


洗濯場が、どうしても欲しかった

1階の4.5坪では、
どうやっても限界がありました。

洗濯機を置く場所がない。
タオルは常にギリギリ。
薬剤も置き場に困る。

「このままじゃ回らないな」

そんな感覚が、
日に日に強くなっていきました。


人も、増やした。いや、増やせた。

ちょうどその頃、
元上司が働かせてくれ
という話がきます。

ありがたい話でした。
経験もある。
現場も分かっている。

ただ、ここで一つ、
現実的な問題がありました。

法人で、一人以上を雇うと社会保険加入は必須。

でもこれは、
すでに私が選んでいた道でもあります。

この時点では、
「国保にしておけばよかった」
とは、あまり思いませんでした。

むしろ、

「やっぱり、最初から社保を選んでおいてよかったな」

そう感じていました。


拡大したのに、苦しくなる

2階を借りた。
人も増えた。
環境は、確実に良くなった。

……はずでした。

現実は、
まったく逆でした。


ランニングコストという重さ

家賃。
光熱費。
人件費。
社会保険料。

毎月、
何もしなくても出ていくお金が、
一気に増えました。

一方で、
売上はどうだったか。

思ったほど、伸びませんでした。

店舗を広くしたからといって、
お客さんが自動的に増えるわけではない。

当たり前の話ですが、
この時の私は、
どこかで期待していました。

2人ならお客さんどんどん回せて売上1.5倍!

そんな甘くはないんです。
駐車場、集客。

1000円カット経営の初期の最大難点はズバリここ!
集客は2〜3年の時間がかかる。


先輩、1年、持ちませんでした。

そんなわけで結果として、
この拡大は1年も持たずに破綻します。

数字が合わない。
精神的にも追い込まれる。

「これはヤバい」

そう感じた私は、
すぐに判断しました。


パート雇用を求める

元上司には事情を話し、
パート雇用でしか雇えません
と伝え、
それならと退社して行きました。

正直、
気まずさも申し訳なさもありました。

でも、
ここで無理を続けていたら、
店ごと終わっていたと思います。


痛感したこと

この時、
骨身にしみて分かったことがあります。

人件費と売上のバランスを崩したら、全部が崩れる。

・スタッフの給料
・自分の給料
・家賃
・社会保険

どれか一つでも無視すると、
全体が一気に傾く。

「人を雇う=成長」
「店舗拡大=成功」

そんな単純な話ではありませんでした。


まずは、人件費を賄える売上

この経験から、
私の中で一つの基準ができました。

「まずは、人件費をきちんと賄える売上を出すこと」

話はそれから。

拡大も、夢も、
全部その後です。


拡大して、失敗して、残ったもの

2階を借りて、
即破綻。

今思えば、
かなり恥ずかしい話です。

でも、
この失敗があったからこそ、

・身の丈
・数字
・人件費感覚

を、
身体で理解できました。


逃げなかった、それだけで

派手な成功はありません。
スマートな経営でもありません。

でも、
拡大して失敗しても、
逃げずに縮めて立て直した。

それだけは、
自分を少しだけ褒めてもいいかな、
と思っています。

次回、パートを雇ってみた。

逃げた美容師の生存戦略。#8 パートを雇ってみたところ。

2016年、もう一度“人を雇う”という選択

確か2016年か17年。

その前、2014〜15年頃に一度人を雇い、
うまくいかず辞めてもらっています。

あの経験は正直、きつかった。

その後、2016年の春。
もう一度パートさんを雇いました。

パートさんは気さくで共通点が多く、
縁のようなものを感じました。

その方は、
元々旦那様のご実家のパーマ屋さんで働いていたそうです。

でも、いろいろあって退職。
その後も美容室を転々とし、
長くは続かなかった。

中には、
オーナーが仕事中にお酒を飲むような店もあったらしい。

そりゃ、幻滅もしますよね。

美容業界から離れ、
パートとして働きながら、
どこか悶々としていた。

そんなタイミングでの再挑戦でした。


年上を雇って失敗した話

その前に一度、
“上司”だった人を雇っています。

結果から言えば、
うまくいかなかった。

最終的に1ヶ月分の給料を渡して、
「申し訳ないけど次を探してほしい」と頭を下げました。

「あんたが大丈夫だって言ったからやってたんだ」

そう言われたことは、
今でも覚えています。

自分より年上を雇う。

これは想像以上に、
自分の器が試される行為でした。

力量、体力、精神力。

全部が足りなかった。

本当に反省しました。

それ以降、
年上を雇うことはしていません。


スピードを求めすぎる自分

今回のパートさんは、
私より一つ下。

カットはできない。
カラーは形になる程度。

問題はスピードでした。

どうしても私は
“早さ”を求めてしまう。

一緒に触って、
「このくらいのスピードで」と伝える。

でも、

「ちょっと急いでね」

「早く、早くね!」
になってしまう。

言いたくないのに、言ってしまう。

これ、完全に自分の問題です。

雇用も、言葉も、
全部自己責任。

人を雇うの、
やっぱり向いてないのかなと思う瞬間です。


4.5坪+狭小の現実

当時はまだ、
2階を空けていました。

1階と2階の間には服屋さん。
階段は急で、
高齢者にはきつい。

1階は狭すぎる。

カラー放置中の圧迫感。
複数対応すると動線が詰まる。

それでも当時、
2000円以下でカラーをやっていました。

今考えると、
よくやってたなと思います。


低価格という葛藤

今は当時の倍近くに値上げしました。

それでも、
周囲から見れば安い部類。

「価値で売る」
「技術を買ってもらう」

それも正解。

でも私が教わったのは、

自利より利他。

自分の利益だけを追うと、
どこか孤独になる。

でも、
相手の利益を考えた先に
自分の利益があるなら、
それは悪くない。

低価格でやることは、
自己満足かもしれない。

でも、

「あなたたちが選んでくれたから、
私は生きられている」

この感覚は、
ずっと持っています。


人を雇うということ

パートを雇って分かったこと。

技術よりも、
スピードよりも、

人間性が一番試される。

自分の未熟さと向き合うことになる。

でも、
逃げずに続ける。

これが今の自分のやり方です。


次回、大病を患う

逃げた美容師の生存戦略 #9 店舗拡大作戦!壁をぶち抜け!

壁を壊し、契約を切り、そして大病へ…

人を雇うことに失敗し、
再び少人数体制に戻った私。

「店が狭いなら、広げればいいじゃない」

ちょうど隣のテナント(6.5坪)が空きました。

元々の4.5坪と合わせれば、10坪超え。

私は大家さんに頼み込み、
2店舗を繋げる許可をもらいました。

ここから、
私の“生存戦略DIY編”が始まります。


物理的な壁を壊す

業者に頼む余裕はありません。

「壁なんて切って板貼ればいいだろ」

ホームセンターで1〜2万円の電動ノコギリを買い、
自分で壁をぶち抜きました。

粉塵まみれ。
バッテリーは熱で溶けそう。

「これ、完全に業者の仕事だろ…」

途中で何度も後悔しました。

でも、貫通。

物理的な狭さは消えました。
電動ノコギリのバッテリーは熱で溶けました…笑


ローコスト体質という武器

拡張したことで、
固定費の強さも見えてきました。

うちの水道代は、
月1,000円台。

配管が極細だから。

その代わり、
トイレを流すとシャンプーの水圧が弱くなる。

チョロチョロ…。

コントみたいですが、
これが生存戦略。

豪華な設備はない。
でも固定費が異常に安い。

電気のアンペアも最低限。

これが、低価格でも潰れない理由でした。


フランチャイズを切る

そして最後の壁。

フランチャイズ契約。

ずさんな内容。
ロイヤリティ月約10万円。

「もう自分でいける」

看板を外しました。

壁を壊し、
契約を切り、

G-CUTとして完全独立。

体はボロボロでしたが、
頭は妙にクリアでした。

「ここから本番だ」

そう思っていました。


体が止まる

その矢先。

異変が起きました。
ずっと疲れている。
体がうまく動かない。

そんな時に1ヶ月
咳が止まらない
検査、診断。

細菌性気管支炎
ただちが混じった痰があると伝え
はいCT!と言われ

紹介状をもらい。
精密検査。
目的の患部に異常なし!

だがしかし!

偶然発見の白い影!

大病発見。2ヶ月後手術!

働けない恐怖。

店はどうする?
借金は?
家族は?

あれだけ壁を壊して、
自分の体も壊れてた。

初めて、本気で思いました。

「終わるかもしれない」


パートが辞める

当然、現場は不安定になります。

パートさんも、
事情があっての離職。

崖っぷち!

俺もこんなだし仕方ない!
君もガンバです!
そしてまた一人に戻る。

壁を広げ、
契約を切り、
やっと形になった店が、

気合が入るぜ!
いじめられていた時も
孤立していた時も

全部乗り越えてきた。
今回も余裕で乗り越えてやる!

手術後も10日で仕事を再開!
死にかけたしこれからガンガン頑張る!


そしてコロナ

追い打ちのように、
コロナ禍。

外出自粛。
客足激減。

「これは今度こそマジで終わる」

今度は世界が変わるんかと思いました。

でも、
ここで生き残れたのは、

・固定費が異常に安い
・ロイヤリティがない
・借金が重くない

あのDIYと、
あの契約解除が効きました。


壁を壊した意味

あの時、
壁を壊していなかったら。

FCを抜けていなかったら。

固定費が高かったら。

コロナで終わっていたと思います。

病気で倒れ、
人が辞め、
世の中が止まる。

でも、店は残った。


生存戦略とは

うまくいくことじゃない。

削られても、
細くなっても、
折れないこと。

細く長ーく、
私の生存戦略です。
なんつって
それだけではないんだけどね。

逃げた美容師の生存戦略。 #10 社長は副業でも稼ぎたい。

仕事終わりに書いています。

今日もカットは多数。
低単価の店って、たぶんこういう日が普通です。

疲れてるのに、
頭が冴えてる。
こういう時に出てくるのが、
だいたい本音です。

「副業、始めたいな」

本業忙しいのに、です。


病気とコロナで知った「店が止まる恐怖」

手術が終わって、コロナ禍。

お客さんがもし消えたらどうなる?
売上が半分になったら?
店は続けられるのか?

これを考え始めた時点で、
私はもう一つの答えに辿り着いていました。

資産形成。
というより、もっと正直に言うと、

「店以外にも柱が欲しい」

でした。

コロナの年、補助金を受け取りました。

売上は半分落ちていたけれど、
補助金でなんとか穴が埋まりました。

「今年は助かった」

でも同時に、

「次は助からないかもしれない」

そう思ったんです。


暇な時間はタイピングを鍛えた

副業を続けるなら、武器が欲しい。

そう思って、私はタイピングを始めました。
e-typingと寿司打を交互にやる。
3か月くらいで、目に見えて上達しました。

e-typingはA+〜S。
寿司打も、スコア練習モード10000を超えられるようになった。

とある動画で
「寿司打で1万スコア超えないのは雑魚」
みたいなのを見て、

「あ、雑魚なのか俺…」

ってなって、やりました。

こういうの、私、わりと単純です。


まずは副業。雑所得3万円の現実

そこで私は、個人名義で副業を始めました。

2019年は、コロナの影響もあって暇になった年。
時間だけはありました。

葬式の案内を、ひたすら手書きで書く。
地味だけど、やった分だけ終わる。

結果、雑所得は3万円くらい。

小さい。
でも、ゼロじゃない。

この「ゼロじゃない」って感覚が、
なぜか効きました。

副業は「納期1日」で信用が終わる

鍛えたタイピング
挑戦した副業はあっけなく終了。

最初の1〜3か月は良かった。
でも、だんだん条件が厳しくなる。
求められるクオリティが上がってくる。

そして、やらかしました。

納期を1日遅らせた。

たった1日。

でも、そこから対応が露骨に冷たくなりました。

その時、はっきり分かったんです。

副業の世界って、
「努力してます」じゃダメで、
「納期と品質」だけが評価なんだな、と。

この経験は、きつかったけど、
めちゃくちゃ勉強になりました。


そして私は、投資に手を出す

副業がうまくいかない。
じゃあ次は何だ?

そう思って興味を持ったのが、

投資

でした。

触ってみたら、急にドカーンと下がる。

地獄を見る。

この具体的な内容は、
私は有料記事にしようと思っています。

だって、
何に投資して、
どうなって、
どこまで失敗したのか。
軽く書くと事故るからです。


家族に話して、空気が割れた

失敗した時、全部を家族に話す機会がありました。

不協和音が出ました。
いざこざもありました。

メンタルも少し病んで、
安定剤をちょっとだけ飲むところまでいきました。

ただ、
入院するほどではない。

持ち直すのに時間も、
そこまでかからなかった。

ここも含めて、
有料記事の中でちゃんと書きます。


それでも店は続き、
値上げして年商は目標を超えた

その後は、
経営を立て直す時間。

2024年は中身を正していった年。
2024年から2025年にかけて、
初めてカットの価格を上げました。

カラーは、
FCを抜けてからすぐ上げています。
あれは、
正直「やってられん」と思ったから。

そして、
初めて年商が目標を超えました。

消費税を納めるライン。

ここも、
経営者にとっては
現実の重さが変わる境目です。


副業をやって分かったこと

副業は、夢の話じゃありません。

・納期
・品質
・信用

この3つを守れないと、
すぐ終わる。

でも逆に言えば、
この3つが守れるなら、
積み上がる。

私は、
まだ途中、
色々やんぞって意気込みです。

ただただ、
店一本で生きる怖さを知ったから、
もう一本の柱を作りたい。

だから記事書いてんです。
やり切る。

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